-topocrat-


There's lots and lots for us to see,there's lots and lots for us to do,

「うれしげ」を地で行くにんげんが、世の中と自分との距離をはかるために、なにかしら書いていくブログです。

2009年08月

遠くへ行ってみたい

尾道。山本モナの街。

かねてから話に聞いていた尾道の自由犬・ドビンくん
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昔は「ロビンくん」って名前だったらしい。
普通に会えてしまうあたりが、素敵ね。

テレビで見た、「シネマ尾道」を復活させた女性も、普通に窓口に居た。

そいで、長崎で買った文庫本をすこしのお金に換えて、
地球を救うみんなの仲間入りができた昼下がり。

Akihiro

遠くへ行ってみたい

ぼくが長崎を訪れた日は、町中が浮き足立ってる感じがした。
何かと思えば。
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Akihiro

遠くへ行ってみたい

九州は佐世保に。
佐世保の夜は、ポパイのなりをしたアメリカ軍人さんが多くて、すれ違うだけでドキドキした。
ドキドキする自分、すこしはずかしい。

次の日は九十九島最大の黒島へGO走る
「長崎の教会群とキリスト教関連遺産#003」黒島天主堂を目当てに。
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木のとびらをぐいっと開けると、静謐な空間が広がっていた。

Akihiro

「しろばんば」

1962、井上靖著。

伊豆は湯ヶ島、「洪ちゃ」の成長物語。

前編でおぬい婆さんが「かみき」のおばさんについて、

「いまはおばさんだが、あれでも嫁さんだったことだってあるずらよ。あの年であんなじょべじょべしたべべ着ているようじゃ、ろくなことはあるめえ」

と評していたのが、この予感が後編になって、「洪ちゃ」の実感に変わるところがおもしろい。

「少年時代」が色濃く映し出された小説。
時を経ても、だれしもが共感できるところが、あるんじゃないかな。

Akihiro

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洪作はこの家では贅沢な人形のような小母さんが一番好きだったが、しかし、どこかにその存在そのものに危っかしいものが感じられた。この前来た時は、優しいいい小母さんというだけで、そうしたことには気付かなかったが、こんどは、ともかく洪作にもこんなであってはいけないというものが感じられた。本当に今日食べる米がなくなっても、この苦労というものを全く知らない女性は、それに気付かないであろうと思われた。

本文より引用

「猫のゆりかご」

1979、カート・ヴォネガット・ジュニア著、伊藤典夫訳。

「目をひらいて見さえすれば、世の中にはみんなに行きわたるだけの愛はたっぷりあるのですね。ぼくがその証拠です。」
ある医学部予科生の手紙から


「そのうちわかるだろうが―考える量というのは、みんな同じさ。科学者はある一つの方向に考える。他の人たちは、それぞれ違う方向に考えるんだ」
エイサ・ブリード博士の言葉から


「あいつは死んで生まれてきたんじゃないかと、ときどき思うよ。生きることにあんなに興味のなかったやつは見たことがない。ときどき思うんだが、世の中が悪いのもそこじゃないかな。石みたいに冷たくなって死んでいる人間が、上のほうに多すぎるんだ」
マーヴイン・ブリード


このブログにひとつ注意があるとすれば、それは今から書くことはすべてフォーマ(=無害な非真実)であるということ。
原子爆弾を発明した博士の「人となり」を調べる主人公がその過程で世界の終わりを目撃するまでの物語。

Akihiro


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