-topocrat-


There's lots and lots for us to see,there's lots and lots for us to do,

「うれしげ」を地で行くにんげんが、世の中と自分との距離をはかるために、なにかしら書いていくブログです。

読書感想記

「ガラパゴスの箱舟」

1985、カート・ヴォネガット著、浅倉久志訳。

波のように寄せるヴォネガット作品の中でのキルゴア・トラウトなる人物の重要性について

いったいぜんたい
作者自身が自らその作品に登場して、
その大団円をかっさらう、なんてことが
どうしてゆるされるのだろうか!

本当に最高のおじさんだ。

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父はさらに訴えた。
「レオン!レオン!レオン!
人間のことを勉強すればするほど、不愉快になっていくだけだぞ。
自分の国のいわゆる最高の賢者たちによって、
ほとんど果てしがなく、報われるところがなく、おぞましく、
そしてなによりも無意味な戦争に駆りだされたという事実ひとつをとっても、
おまえは人間の本性について、永劫に通用するだけの洞察をつかんだものと思ったのに!

いまさら教える必要があるだろうか?
おまえがどうやらそれについてもっともっと多くを知りたがっているらしい
そのすばらしい動物が、いまこの瞬間にも、生きとし生けるものをみな殺しにすること請け合いの兵器を、
合図さえあれば即座に発射できる準備をととのえて、鼻高々でいることを?

いまさら教える必要があるだろうか?
かつては美しく栄養ゆたかだったこの惑星が、いま空中から見ると、
死後解剖で露出されたあわれなロイ・ヘップバーンの病んだ器官そっくりになったこと、
そして、成長そのもののために成長し、すべてを食いつくし、
すべてを毒で侵しているその見かけ上の癌腫が、
実はおまえたち人間の愛する都市であることを?

いまさら教える必要があるだろうか?
これほど万事をだいなしにした動物が、
もはや自分の孫たちのまともな生活ぶりさえ想像できなくなり、
紀元2000年にまだなにか食べ物や娯楽が残っていれば奇跡だと思っていること、
そして、その年がたったの14年先にせまっていることを?

せがれよ、この呪われた船の乗客とおなじように、
人類は海図も羅針儀も持たない船長たちに導かれ、
その船長たちは、重要な問題などほったらかしで、
自分の自尊心をいかに守るかにきゅうきゅうとして、
一瞬一瞬を過ごしているだけなんだ」 

「青ひげ」

1987、カート・ヴォネガット著、浅倉久志訳。


いい人が、ここに帰ってきた。


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この国のいちばん暗い秘密は、どこかよそにあるもっと高度な文明に自分たちは所属している、

という幻想をいだいた国民が多すぎることではないだろうか。

その高度な文明は、なにもべつの国である必要はない。

過去であってもよい―まだ移民と黒人の公民権でよごされない前の合衆国であっても。

こうした精神状態のため、国民の大多数が、残りの国民に嘘をついたり、だましたり、盗んだりしても、

また、ガラクタや、常習癖のつく毒物や、頭の腐るエンターテインメントを売りつけても平気になる。

結局、残りの国民は、人間以下の原住民ではないか?

「アンナ・カレーニナ」

1875、レフ・トルストイ著、木村浩訳。


悲しさが、ただからだをつつむ。


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幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもそのおもむきが異なっているものである。


どんな人でも、自分をとりまいている条件の複雑さを、とことんまで知りつくすと、その条件の複雑さや、それを解明することのむずかしさは、つい自分だけの、偶然な特殊なものだと考えがちで、ほかの人も自分とまったく同じように、それぞれ個人的に複雑な条件にとりかこまれているなどとは、夢にも考えないものである。


どんなふうにって、わかりきったことじゃごぜえませんか、正直に、神さまの掟どおりに生きるんでごぜえますよ。



「さすらいの青春」

1913、アラン・フルニエ著、榊原晃三訳。


金曜日の晩―ぼくは次のように書くことになると思っていた。

「彼女はこなかった」と。そして、もうなにもかも終わるはずだった。


甘美な文体でつづられた、あの自堕落な世代の小説。

ぼくのとなりの、あの小屋のように朽ちていく。


あんぼ坂

「ヒューマニティーズ 古典を読む」

2010、小野紀明著。

あの高揚感漂う講義を思い出す。

他人を理解する、ということをまじめに考えると、ヒトはここまで来れる。

現代の人間が苦しんでいるものの答えは、古典にあるかもしれない。

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あんぼ坂

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著者が具体的な読み手として誰を想定しているかはきわめて重要な問題であり、その点を明確にするためにはそれが書かれた時代状況を明らかにすることが決定的に重要です。

脱構築、デコンストラクションというのはポストモダニズムの用語で、破壊することではありません。ある事態を本質として絶対的に肯定したり、逆に、本質ではないと言って絶対的に否定したりすることに、なんら根拠がないことを暴露することです。
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